熟練者のコツを言葉にする方法|「見て覚えろ」から卒業する
「見て覚えろ」「やりながら慣れればいい」。1次産業の仕事は、長くそうやって受け継がれてきました。
ところが今は、教える側は高齢化し、教わる側は短期のアルバイトや外国人スタッフが増えています。じっくり見て覚える時間も、同じ言葉で通じ合う前提も、崩れつつあります。
この記事では、熟練の方の「コツ」を、誰でも分かる言葉にする方法をまとめます。
この記事のポイント
- コツが言葉にならないのは、本人も意識していない「暗黙知」だから
- 「作業を分ける→判断の場面を見つける→質問で聞き出す→写真と数字で示す→新人で試す」の5ステップで言葉にできる
- いちばん大切なのは、「どうやるか」より「どう判断するか」を聞き出すこと
目次
- なぜ今、コツを言葉にする必要があるのか
- コツが言葉にしにくい理由
- コツを言葉にする5つのステップ
- コツを聞き出す質問例
- 農業での取り組み例
- よくある失敗と対策
- 言葉にしたコツを、仕組みで残す
- まとめ
- よくある質問
なぜ今、コツを言葉にする必要があるのか
2025年の農林業センサスでは、農業の担い手が大きく減り、高齢化していることが分かりました。
| 項目 | 2025年の数字 |
|---|---|
| 基幹的農業従事者(ふだん主に農業に従事する人) | 103万6千人(2000年の240万人の半分以下) |
| そのうち65歳以上 | 69.6% |
| 平均年齢 | 67.7歳 |
| 法人経営体の数 | 3万3,819(2020年から10.1%増) |
出典:農林水産省「食料・農業・農村白書」(2025年農林業センサスの結果)
経験を積んだ方が引退すれば、その人の頭の中にある判断の目安も一緒に消えてしまいます。一方で、法人化して人を雇う農園は増えています。家族で時間をかけて伝えるやり方から、初めての人に短い期間で伝えるやり方へ、変える必要が出てきています。
コツが言葉にしにくい理由
熟練の方に「どうやってるんですか?」と聞くと、「なんとなく」「見れば分かる」と返ってくることがよくあります。これは教える気がないのではなく、コツが本人も意識していない知識だからです。
経営学では、知識を次の2つに分けて考えます(コトバンク「形式知」)。
| 知識の種類 | 中身 | 農園での例 |
|---|---|---|
| 暗黙知 | 経験や勘にもとづく、言葉にしにくい知識 | 「この色ならもう取れる」と一目で分かる感覚 |
| 形式知 | 言葉や図、数字、マニュアルで表せる知識 | 「果実のお尻が黄色くなったら収穫」と書いた手順書 |
経営学者の野中郁次郎は、経験や勘にもとづく暗黙知を形式知に変えて共有することが大切だと示しました。「見て覚えろ」は暗黙知をそのまま渡そうとするやり方です。この記事のテーマは、それを形式知に変えることです。
コツの多くは、手の動かし方よりも「何を見て、どう判断しているか」の中にあります。そこで次の章では、「判断」を中心に言葉にしていく手順を紹介します。
コツを言葉にする5つのステップ
ステップ1:作業を小さく分ける
「収穫」を丸ごと言葉にしようとすると、大ざっぱな説明で終わってしまいます。まずは「果実を選ぶ」「もぐ」「コンテナに入れる」のように、一つひとつの動きに分けます。スマホで作業を撮っておくと、分け方を考えるときに役立ちます。
ステップ2:「判断」している場面を見つける
分けた動きのうち、「迷う」「選ぶ」「止める」場面に印を付けます。例えば、収穫する実と残す実を分ける、傷んだ果実をはじく、作業を止めて責任者を呼ぶ、などです。新人と熟練者の差がいちばん大きいのは、たいていこの「判断」です。
ステップ3:質問で判断の目安を聞き出す
熟練の方に「書いてください」と頼んでも、なかなか出てきません。聞き手が「どうなったら」「なぜ」と質問を重ねると、本人も意識していなかった目安が出てきます。できれば作業の現場で、実物を指しながら聞くのが効果的です。具体的な質問は次の章にまとめました。
ステップ4:写真と数字で示す
「ちょうどいい色」「少し硬め」のような言葉は、人によって受け取り方が違います。次のように、誰が見ても同じになる形に直します。
- 写真:その農園の「良い例」と「悪い例」を並べる
- 数字:長さ、本数、間隔、時間など、測れるものは数字にする
- たとえ:「指一本分」「握りこぶしくらい」など、体で確かめられる目安
ステップ5:新人に試してもらい、直す
できあがった説明を、その作業を初めてする人に読んでもらい、実際にやってもらいます。つまずいた所や質問された所が、まだ言葉になっていないコツです。そこを足していくと、シーズンごとに説明が磨かれていきます。
コツを聞き出す質問例
熟練の方に聞くときは、「どうやるか」だけでなく、「何を見て」「なぜ」「うまくいかないときは」を聞くのがコツです。
| 聞きたいこと | 質問の例 | 出てくる答えの例 |
|---|---|---|
| 判断の目安 | どうなったら「もういい」と判断しますか? | 果実のお尻の色が緑から黄色に変わっている |
| 見ている所 | そのとき、どこを見ていますか? | 実の色より先に、実のついている位置(日当たり)を見ている |
| 理由 | なぜそうするんですか? | 色づいた実から先に取ると、残った実にも日が当たるから |
| 違い | 新人さんと一番違うのはどこですか? | 一つの実で何度も迷わない。一目で決めている |
| 失敗 | よくある失敗は何ですか?そのときどうしますか? | 強く引っ張って果梗が抜ける。上にひねってもぐ |
| 例外 | いつもと違うやり方をするのはどんなときですか? | 雨の後は実が割れやすいので、一日待つ |
| 危険 | この作業で「これだけはやってはいけない」ことは? | 脚立の天板には立たない |
※答えの例は、質問のイメージを伝えるためのものです。実際の目安は作物や品種、農園によって違います。
質問するときは、答えをその場でメモするか、スマホで録音しておくと、あとで手順書にまとめやすくなります。
農業での取り組み例
コツを言葉や形にして伝える取り組みは、国や研究機関でも進められています。
熟練農業者の「匠の技」を学べる学習システム(農林水産省)
農林水産省は、熟練農業者の経験や勘にもとづく技術を「見える化」した学習システムを、水稲、みかん、ぶどう、りんご、いちごなど10品目で紹介しています(農林水産省)。
りんごでは、わい化栽培のせん定を学べるシステムがあります。問題に答えると正解と解説が出て、どの枝を切るかを図で問う問題もあります。新規就農者2名が学んだ結果、木一本あたりのせん定の時間が平均で10%以上減ったとされています(農林水産省「りんご」)。
ユズの収穫・選果の研究
ユズの収穫と選果を対象にした研究では、上級者の動画、視線の記録(アイトラッキング)、聞き取りから、作業の「動作」「判断」「結果」に関わるポイントを取り出しました。初心者との差が大きかったのは「判断」で、そこを中心にクイズ形式の教材を作っています。
作業未経験者で確かめたところ、収穫でははさみやトゲによる果実の傷が減り、選果では一目で判断できる割合が増えました(北沢ほか「ユズの収穫・選果作業における学習支援要点の可視化と学習コンテンツの学習効果」農業情報研究 33巻2号、2024年)。
どちらの例も、「判断」を取り出し、問題や解説で繰り返し学べる形にしたことが共通しています。大がかりな機器がなくても、質問で聞き出して写真と確認問題を作れば、同じ考え方は各農園でも取り入れられます。
よくある失敗と対策
| よくある失敗 | どうなるか | 対策 |
|---|---|---|
| 熟練者に「書いておいて」と丸投げする | 忙しくて後回しになり、書いても短いメモで終わる | 聞き手が質問して、書くのは聞き手が担う |
| 全部の作業を一度にまとめようとする | 時間がかかりすぎて途中で止まる | 新人によく教える作業、1つから始める |
| 「いい感じに」「ちゃんと」と書く | 読む人によって受け取り方が違う | 写真・数字・たとえに置き換える |
| 手順だけ書いて「なぜ」を書かない | いつもと違う状況で応用できない | 判断の理由も一緒に残す |
| 一度作って終わりにする | 現場と合わなくなり、使われなくなる | 新人の質問やつまずきをもとに、毎シーズン直す |
| 日本語だけで作る | 外国人スタッフには届かない | 写真を中心にし、必要に応じて母国語にも直す |
言葉にしたコツを、仕組みで残す
せっかく言葉にしたコツも、ノートや頭の中にしまっておくと、また人に頼る状態に戻ってしまいます。次の3つがそろうと、教える人が変わっても同じように伝わります。
- いつでも見られる:新人が作業の前に、自分のスマホで確かめられる
- 伝わったか分かる:簡単な確認問題で、理解できているかを確かめられる
- 直しやすい:新人の質問やつまずきを見て、すぐに書き足せる
「畑のマニュアル工房」は、熟練の方が作業の流れを話すだけで、AIが手順の下書きを作るサービスです。手順ごとに「現場のコツ」を書き足せ、新人はQRコードを読むだけで、確認テストつきで学べます。日本語・英語・ベトナム語・インドネシア語・中国語に対応しています。今ならモニター農園(30日間無料・カード登録不要)を募集しています(詳しくはこちら)。
まとめ
熟練の方のコツは、本人も意識していない「判断」の中にあります。「見て覚えろ」から卒業するには、次の順で進めるのが近道です。
- 作業を小さく分ける
- 判断している場面を見つける
- 「どうなったら」「なぜ」と質問して聞き出す
- 写真と数字で、誰が見ても同じになる形にする
- 新人に試してもらい、毎シーズン直す
まずは、新人に一番よく教えている作業を1つ選んで、熟練の方に10分だけ質問してみてください。
よくある質問
Q. 熟練の方が「言葉にできない」と言う場合は?
作業しているところを動画で撮り、それを一緒に見ながら「今、何を見て判断しましたか?」と聞くと、言葉が出てきやすくなります。自分で説明するより、質問に答える方が楽だという方が多いです。
Q. どの作業から始めればいいですか?
新人に毎年教えている作業や、新人がよく失敗する作業からがおすすめです。教える手間が減る効果を実感しやすいためです。
Q. 動画を撮って渡すだけではだめですか?
動画は「動き」を伝えるのに向いていますが、「何を見て判断しているか」は映らないことが多いです。動画に、判断の目安を書いた一言を添えると伝わりやすくなります。